Voz de Estrellas.

躁うつ病と戦いつつも趣味に生きるオトコの一代記。

忘れられないあの日。3.11

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夜も寝静まって。カミさんも寝たことだし。
3月11日だから、慌しくても自分を律するためにも書いておこう。

2011.3.11の昼下がりに

3月というと公務員の世界では年度末と言うこともあって慌しいんですね。
例えば、道路工事をちゃんと済ませておかなければとか(だから3月に工事がいっぱいやってるわけ)、年間でやってる事業をちゃんと済ませているか、予算を使っているかチェックが始まるのです。
ボクはよくそのチェックをする役割が多かったので、算数が苦手でもエクセルを駆使して何重にもチェックをしていました。

ただ、2010年度はそうではなくて。防災なんかを担当していました。

そして2011年3月11日。
ボクのパソコンにバグが入ったかのようにメールがやってきたのです。

地震速報

メールの案件は、地震速報でした。
震源地は三陸沖だったと思います。宮城県沖だったか。
ともかく、マグニチュードの値がウソのように凄かったのと震度が7とかいうのを覚えています。
その時思い出したのは、大学生のときに経験した阪神大震災のときの地震でした。広島でも震度4でしたから。
そして、そのメールと見た後に庁舎内のテレビをつけたのです。
そうしたら、NHKのカメラが非情な模様を流し続けたのでした。

名取市の模様から

今でも覚えているのが、NHKが流した名取市の模様。
名取市は空港が近くあるというのを覚えていました。一度仙台を訪れたときに空港から市内に入るときに通過した記憶があったのです。
その街が、水に(後で津波とわかる)襲われたのです。田畑を飲み込み、建物を飲み込み、車両を飲み込み。
一緒に見ていた職員さんと「あぁ…」と何ともいえない感じで見つめていたのを覚えています。

3.11以降

その日家に帰ってニュースを見たときに事の重大さを知りました。
そして、翌日からいろんな動きが出てきたのです。

義捐金の受付、支援物資の受付、それらの電話対応。
防災担当だったこともあり、いろいろと担当部署と連絡を取って対応していきました。

そして。
支援物資を受け付ける部屋がわずか数日で満杯になったのです。
それをまた担当部署へ送り、状況を把握し、連絡を取り。

それと重なった人事異動

実は、このとき、人事異動の内示を受け、事務の整理をせねばなりませんでした。
昼は支援物資の受付(義捐金は窓口対応で任せました)、夜は事務整理と引継。
受付は休日も行ったため、ほぼ毎日出勤したのを覚えています。
でも、実際に被災された方々は、ボクが思っている以上に大変だと思っていたので、何とか頑張ってました(そのときから躁うつ病にはなっていたみたいなので)。
何とか、3月31日まではその仕事を終えることができました。

それからのボク

異動した部署が防災関係とはかけ離れたところ、つまり東日本大震災とは無縁の部署だったため、ココロとカラダのバランスをとるのに苦労しました。目の前の仕事をしなければならないのに、震災のことを考えるという。
その中で、何もできていない自分の情けなさを感じながら。

そんななかで、新日本プロレスの試合に観に行ったときのことでした。
リングサイドで選手が義捐金の募金活動をされていたのでした。しかも外国人選手が。
今でも覚えています。
プリンス・デイビッド選手(現WWEのフィン・ベイラー)とキング・ファレ選手(現バッドラック・ファレ)が2人で義捐金を入れる人たちに「ありがとう」と言いながら握手をしていたのです。
ボクもリングサイドに並びました。そして握手したファレ選手の分厚い手は忘れることができません。
だって、遠く海外からやってきて、日本のことを思って活動していたから。
その時に、やっと自分の中で「何かやれたかな」という気になれたのでした。

今も忘れない。3.11を

この震災のことを思うと色々と書けると思います。
皆さんもそうでしょう。それぞれに何かしらの関係性があると思うから。
だから、今もこれからも忘れることはないでしょう。

この震災で思ったことは、この日本で何かしらの縁があるということ。直接お世話になった方もいるだろうし。
ボクもいろんな縁で様々なところの人と知り合いになりました。ネット上の知り合いもそうでしょうが、直接会って話した人もいます。東日本大震災に遭った方とはまだ知り合っていませんが、それに近い災害に遭った方がいました。
その人らから感じたのは、「自分たちが体験したことは必ず後世に伝えなければならない」ということでした。

震災とは離れますが、ボクは広島にいます。広島といえば原爆の被害です。
小さい頃からその惨状については語り継がれていました。当たり前のように「はだしのゲン」を読んでいました。8月6日は登校してました。
ボクには妻がいます。妻は原爆3世です。でも、広島で出会ったらこういうことは今当たり前だと思っています。偏見もありませんでした。
そんなボクらができることは、常に被爆地のことを思い手をあわせることです。時間が合えば8月6日には平和公園に行って手をあわせることにしました。それで後世に語り継がせることができたら…そう思っています。

話がそれてしまいました。
でも、そんなことが今後、東北でも語り継がれるのでしょう。
もちろん、ボクらも遠くからですが忘れることなく祈ってます。御霊に向かって、街に向かって。